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森羅万象は生きており、常に形を変えています。社会もそう、マーケットもビジネスもそう、人の世でおこることは刻々と変容しています。
しかし情報処理システムというのは、そうした対象のある時点でのスナップショットを下地にモデル化をします。常に変容しつづけるものをシステム化することは困難なので、静的なスナップショットを撮らざるを得ないのです。そのシステムを実装するデータベースのスキーマは、固定的であってもやむを得ないものと思われてきました。次のスナップショットを撮るタイミング(すなわちシステムを再構築する数年後)までは対象世界の変容には目を閉じてしまいましょう、ということになります。
しかし設計、企画、営業活動、といった知的生産活動を支援するようなシステムでは、使いながらマーケットやビジネスのニーズに合わせて、形の見直しや拡張をしていくことが必須といえます。これは固定化こそシステムの前提である、という従来の常識と相反するものなのです。
XML DBはこの常識に風穴を空ける可能性を秘めています。先覚的ユーザがXML DBに惹かれるのは、「変容しつづける対象世界に追随していくシステム」というものを実現できるのではないか、という予感を起こさせてくれるところにあると思います。
これから、そんな例を紹介してみましょう。
ある中古車販売の会社はベテラン営業マンのノウハウを組織的にシェアさせるような情報システムを模索していました。
ベテラン営業マンは顧客を観察し、ちょっとした会話をいとぐちに、メーカーもタイプも年式も多種多様な在庫のなかから最適な車を直感します。そして一瞬にして買う気にさせる殺し文句をつむぎだします。これは勘と経験の世界です。
たとえばある商談事例ですが、お客さんは50代の上品な紳士です。なんとなく冷やかしの感じです。ベテラン営業マンのAさんが接客にあたりました。何気ない会話から、この紳士が中堅企業の役員であり、これまでブルーの4ドアセダンに乗ってきたがいま漠然と買い替えを検討していること、車庫は自宅の敷地内にあること、二人の子供は就職して自立しており、妻と二人暮らしであること、最近大型犬を飼いだしたこと、などが聞き出されました。
ここでAさんは直感的にまっ赤なワンボックスワゴンを薦めます。そして意外そうな顔をしている客に向かって言います。「これなら大きなワンちゃんと郊外のドライブが楽しめますよ」。
この商談は成約にいたりました。客はセカンドカーとしてこの車を購入したのです。
直感的にまっ赤なワンボックスワゴンを薦めた、と書きましたが、Aさんの頭のなかでは経験的に蓄えられた色々な知恵が瞬時に連鎖しているのです。
こういう思考の結果、Aさんは意表をつくまっ赤なワゴンを提案し「これなら大きなワンちゃんと郊外のドライブが楽しめますよ」という一言で顧客を落としたわけです。この車のスタイルと色、そしてペットとのドライブという発想によってこの紳士は今の自分が真に欲するもの(多分それはしのびくる人生の秋に対するささやかな抵抗)を発見したわけです。
こうした成約事例やベテラン営業マンの勘と経験をシステム化し、組織のなかでシェアできたらいいのですが、そんなことが可能でしょうか。まず営業マンの勘と経験をどこまで近似的にモデル化できるかです。
営業マンの頭の中では売るべき商品の特性が整理されており、顧客の情況に合わせて最適な特性を束ねて商談を構成します。商品と顧客に対するプロファイリングの精確さとマッチングの勘こそが営業マンのスキルといえます。ただ商品ごとに特性が異なり、また営業マンごとに特性の見方が異なるため、システム化しようにもバリエーションが豊富すぎてRDB化が難しい。
RDBの設計は、対象の中の無用な枝葉をできるだけ裁断し、反復性のあるもの、共通性のあるもののみでテーブルを構成しシステムとして固定します。これは定型業務には有効です。しかし「営業スキル」のような人間的なモデルは枝葉、つまり例外性や一回性も重要なのです。かくて「勘と経験」は情報システムに乗りにくくなります。
Aさんは自分の商談をMS-Excelでまとめています。商談のなかで発見した車の顧客特性を「消費者イメージ」として記入しています。これはAさんの営業虎の巻とでもいうものです。Excelを利用するのは、経験的に発見した新たな項目をどんどん増やしたり見直したりできるからです。また車ごとに異なる項目の種類やプライオリティを自由に設定できるからです。
この例のように、ホワイトカラーの経験的なナレッジは、情報システム部門の設計するデータベースにではなく、案外MS-Excelのようなスプレッドシートに容れられています。スプレッドシートはデータの構造も値も任意の「セル」で一元的に表現できます。データの構造と内容の決定権が個人にゆだねられているので、現場の経験的なナレッジの容器として利用されやすいのです。
しかしスプレッドシートはデータの共有性という点では問題があります。構造を好きにできることが裏目に出て、各ファイルに横串を通すような統一的な検索やデータ処理をすることが難しいのです。
そもそも情報の統合とナレッジは相容れないものなのです。統合のためには情報を共通の型に入れなくてはなりません。型を与えられた瞬間に情報は生成発展するナレッジとしての可能性を閉ざされ陳腐化します。このジレンマをシステム的にどう克服するのか。そのヒントはXML技術にありました。
つづく
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